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家系図の不思議

松崎整道居士 講演

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七 お墓の整理

墓を改造して とが めを受く

よく世間にはお石塔が墓地一杯になって、後の席がないからと言ってこれを片付け、そしてこのごろ流行のカラトを造り、それに先祖代々の石碑一基に改めた。
ところが、これが出来るか出来ないうちに、主人が仏様になってしまうとか、相続人が亡くなったとか、またあるものは先祖からある何本かの墓が、古く小さく貧弱だから、これを片付けて一本に改めたら、家内に不幸が続出したなどとの例が沢山あるので、世間一般に墓に手をつけることを非常に危険がり、障らぬ神に祟りなしなど申し、これを敬遠しているものもまた少なくないようであります。

墓改造には予備行為を要す

これはどれもよくないので、古い墓、または悪い墓、これを片付けるには、片付ける方法があります。
それを無視してかかるから、咎めを受けるわけなのであります。
また古くても、小さくても、貧弱でも、その時、その時の時代の風や、その家の事情や、因縁によって出来たものだから、かえって大切であるのに、自分の虚栄心からこれを貧弱などと軽んじ、何の功徳も積まずに容易くこれを処置するから差し障るのである。
これを処理する方法は別にむずかしい訳があるのではなく、ただ功徳を積んでから処置すればよいものを、多くは無功徳で手を出すから咎めをうけたり、差し障りを招いたりするのであります。
もし家が古くなり先祖以来何本かの墓があって、自ずから墓地が一杯になれば前にもしばしば申したとおり、家運の衰退を招くとか、または相続人が家に居られぬようになるから、墓所の整理も必要となってまいります。

供養の届く仏と届かぬ仏

そこでその整理の件ですが、その何本かのうち、どれを残し、どれを片付けて良いかといえば、たとえ何本何十本あって、墓地が一杯になったからといって、その多くの仏に対し届くか届かないかにかかわらず、一々祭祀供養のことがよく行き届けば、決して家運の衰微は起きないのでありましょうが、それはなかなかできないのが、世間一般であるから、まずあらかじめ、供養の届く範囲においてこれを始末せねばなりません。
ではその供養の届く範囲とは、どの辺までであるかということは、またひとつの問題ですが、あまり遠くはないようであります。

親の五十年忌

私たちが生存中親の五十年忌を勤めるということは大変至難のことで、よほど少年のとき早く親に死別するとか、またよほど長生きしないとできないことで、なかにはこれを勤める幸せな方もありますが、誠に少ないことであります。

墓石をまとめて供養する方法

このようなわけで同じようにお祀りしてもとどくところは、祖父母までぐらいのところで、それより先は届きがたいようです。
しかし届かないからといって、決して先祖以来の仏を捨てるのではありません。
やはり大切に祭祀供養するのですが、これは常にはまとめて先祖代々として回向するので、時には代々の百年忌とか、百五十年忌とか、または二百年忌、三百年忌などを営むことは、最も結構なことであり、墓所の古い石塔はその供養の届く範囲、すなわち祖父母以下のものを残して、それより以前のものはみな片付けて、他の場所を選びそこへお祭りするのであるが、それを片付けて整理するには何か相当の功徳を積んでことに当たらねば、前に述べたように、さまざまな差し障りや咎めを受けますから、注意せねばならないのであります。 では、どのようなことが功徳になるかということになるのでありますが、その功徳積みの方法もまた種々ありますが、まず他の無縁墓を修理してこれを祀り、これを供養することが最適の福田、すなわち功徳であります。

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