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家系図の不思議

松崎整道居士 講演

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六 墓と因縁

浮世の世相

世間一般、各家庭の状態を見聞いたしますと、ある家では子供が生まれても生まれても死亡するとか、あるいは主人が早世するとか、また家内が先立つとか、あるいは家族に病人が絶えないとか、または相続人がないとか、またあっても病弱だとか、あるいは子供があっても低脳だとか、不良だとか、またあるいは家族が災いで死ぬとか、変死者が出るとか、あるいはまた商売がうまくいかないとか、財政上に心配が起こるとか、また親戚だとか身寄りだとかに迷惑が出来たとか、あるいはまたは他人に難儀を持ち込まれるとか、縁談のもつれ、あるいは何、あるいはかにと数え上げればきりがなく、このような事柄は日々常に見聞するところでありますが、そもそもこれは一体に何から出てくるのでありましょうかと、皆さんにお尋ねしたら諸君は何と答えられるでしょうか。
「その多くは現世解釈を以って、それら以上のような事柄は、何も今日初めて見聞きすることではなく、昔ながらの世相であって、これがいわゆる憂き世とも言うのでしょう」と、答えられるのでありましょう。
誠にその通りでありますが、しかし、「何が原因でこのような世相が現れるのでしょうか」と、さらにお尋ねすれば、はたして何とお答えされるでしょうか。

祀らざる佛

世間では何か良いことでも悪いことでも度重なると、これは何かの因縁だろうとよく言いますが、進んでその因縁の元をいう人はない。また説く人もありません。
仏法の方では万物は総て因縁生のものとしてございます。
人がこの世の中に生まれてくるのは、みなそれぞれの役をもって生まれ来るので、生まれてすぐ死亡しましても、それが一つの役を果たしたことになるので、これを現世では、脳膜炎でとられたとか、また何でとられたとか、病気で取られたように申しますが、これを因縁より申しますと、始めより死ぬために生まれてきたのでこのような家には、必ず祀るべき仏があるのにそれを祀らず捨て置くから、その仏が催促に来たも同様であり、これをよくその家について調べてみると分かってきます。
この家庭における種々の問題も、要するに帰するところ、墓を持たないか、有っても良い墓でないということに起因するものと言わざるを得ないのであります。
これでも昔はこの辺での名刹であったというから驚かざるを得ません。

血を吐く病(実例一)

ここに病人についてこのような例があります。 浅草のある家に娘がおり、その娘は十七歳の時より血を吐く病気になり、あちらの病院、こちらの医者と足かけ五年間医療を求め、また加持祈祷などもしばしば試みたそうですが、少しの効もなく二十二歳になったが、このような病人なので嫁にも出せず、両親の心配はひとかたならず、しかしその容態といえば、血を吐くけれど世間にある肺病患者などとは異なり、その割合に衰えないのがむしろ不審なくらいでした。
その娘さんの学校の先生に私の知人がおり、「医者や祈祷で治らないのであれば、あるいは何かの因縁病ではないか、よく因縁を調べる知人がいるので」と言うことで私のところへ紹介してよこしました。
親子連れでやってまいりまして、その病状について細々と話されますから、「冗談ではない、病人をこちらによこすとはお門違いではないか」と申しましたものの、来たものですから一応その家庭の様子を聞きますと、この親たちが若かりし頃、夫婦連れで田舎から出てまいりまして、いまだ今日の成功がない時分、貸間でも借りて住んでいて、ちょうどこの娘が二歳のとき、その母親の方が亡くなったが別に墓所をもとめることもなく、その貸間の大屋の墓地内を借りてそこへ葬って以来、盆や彼岸に墓参するぐらいのもので、いまだに石塔一本建てずにあるとのこと。
「それはいけない、はやくどこかに墓地をもとめて石塔を建ててお祀りなさい」と申し「それで治るか治らないか

他人のお墓に居候

医者でないから私には分かるはずはないが、生みの母親を他人の墓地に居候させて、まだ石碑も建てないとはもってのほかだ」 この娘には母親、(父親には家内、今は後妻があるから先妻となるが、)その先妻は自分の寿命を夫の成功に代わって、その家の根になったにもかかわらず、そのままいまだに他人の墓に居候させてあっては浮かばれまい。
また成仏も出来ないからこれは早速実行なされと申しましたら、よく納得して帰られました。
そしてまもなく雑司ケ谷のある寺の墓地をもとめたので、どのような石塔を建てたらよいでしょうかと言ってまいりましたので、その雛形を書いて与えましたところ、その後どちらかの石屋に頼んで出来上がり、そのお寺さんに開眼回向をしてもらったそうです。
不思議にもこの石塔を建てた翌月から五年来の喀血があたかも忘れたかのようにとまりました。
けれどもなおこれは一時のことかと案じ、しばらくの間は時々医者にも診てもらったそうですが、別に病気はないと言われ、それから半年が過ぎ、一年が過ぎても何の別条もないないので、これは完治されたものと信じられ、家内一同大変喜ばれました。
それより二年後の一昨年、良縁があり他に嫁しましたが、そこでも何の差し障りがなく、今では夫婦仲むつまじく暮らされ、こちらへも時々見えます。
これは全く因縁病であったので、その母親の浮かばれないのが、娘の体の障りとなっていたので、それが今、自分の墓で自分の石碑が建ったのだから、これに満足されたものと見えます。

生母の思い出(実例の二)

またもう一つの例を挙げますが、ある家に子供が九人あり、長男の相続人から続いて六人も死亡され、残るものはわずか三人になったが、その頭の七男が狂気した。
この場合も子供を沢山なくしているから、心配は一通りではなく、医薬には事欠かなかったが、どうも面白くない。
そのうちこれも縁あって、因縁ではないかと持ち込んできました。
私はもちろん人の因縁を見る商売ではない、お墓についてもまた然りだ。
これはただ自分が学問的に研究して見るのに過ぎないのだ。が、縁によって来られれば、自分もまた研究のため調べても見る、考えても見るのだがこの発狂者の場合も、その親たちが縁にすがって来られたので、まずその家庭の様子を調べたところ、その父親は生まれて間もなくどのような事情があったのか、母親が離縁されて生家へ戻ってしまわれたそうです。 そのため祖母に育てられたのですが、父はそののち後妻が来てこの人に何人かの子供が出来たので、十四五歳のとき家を飛び出し、外の土地で成人し、のちこの東京に転居したようである。
私が数多く調べたところ、世の中には種々な事情で母親と生き別れする子供は少なくはないが、もしその母親がこの別れた子供を忘れる時は、その子供は決して育たないようである。それが無事に育って成人するのは、その母親がこれを忘れない証拠であります。
それなのに子供のほうでは、その徳を思うものは誠に少ないようです。
この病人の父親も同様でして、母親のことなど夢にも思わないのみならず、もはやその身も六十に近ければ、その母親はとうに亡くなっているだろうに、線香一本上げる分別もなく暮らしていますから、この夫婦によくその不可なる所以を詳しくはなしてやりまして、その息子がこういう病気になったのは、あなたが母親を忘れていたためであるかないか知れないが、子として親を忘れてはならない。たとえ何かの事情で父と別れ去ったとはいえ、自分には血を分けた母親のことなので、その母親は何時何所でなくなり、どんな戒名を付けられているか早速にも調べて供養しなされと注意しました。
しかし六十年ほどの昔のことなので分かるか分からないか知れませんと、おぼつかなげに言いますから、分からなければそれまでのこと、その時はこっちで戒名を作って祀れば良いから、とにかく一度は調べてみなされと申したら、ようやく納得して帰りました。
それから二三日すると、その家へ五十年前の友達が国元から東京見物に来たのでといって、ひょっこり訪ねてきました。
あたかもこれは善しと思い、これを尋ねましたところ、その老友がよくそれを知っていて、それは大分前のことになるが、あの人はその後、どこそこへ再嫁してとうに亡くなっているが、それは何所の誰に照会すればすぐ分かると話してくれたそうです。
早速そこへ照会すると、数日で分かりましたがどうでしょう。
その母親が亡くなられたのがちょうど二十七年前の何月何日とかで、それがこちらの病人が狂いだした月日と同じ月日でありました。
たとえ知らずに過ごしたとはいえ、分かれた生母の二十七年目の、しかもその祥月命日に当たるその日に自分の息子が狂い出すとは、誠に因縁のさせるところか。とにかく分かってみれば早速こちらの寺へ行き、厚く供養をなされと話してやりましたところ、これも不思議と当たって、間もなくその病人は全快するに至りました。

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