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家系図の不思議

松崎整道居士 講演

トップページ > 吉相の歴史 > 松崎整道居士 講演 > 五 墓と土地の状態
四 善い墓、悪い墓

都会には永続する家はまれなり

私はまたいずれの土地へ旅行いたしましても、初めての所ならまずその土地の墓地に行き、 墓を見るのが一つの癖のようになっております。市街を見るより誠によくその土地の状態がうかがわれるのであります。
たとえば、この東京のような土地の墓地、すなわち第一には東京市で経営されている青山とか、 谷中とか、染井とか、雑司ケ谷とか、また遠く多摩の墓地とか、その他数ある寺院の墓地ですが、 これを通じて感じるところの重き点を申しますと、この東京には永続する家がない。
また立派な邸宅を造られるが、これに住みきる人は誠にまれである、と言うことが最も著しく感じるのであります。
先刻別席で皆様のお集まりを待つ間、今日この私の話の会を主催されました大井仏教連合会の会長さんのお話を承りますと、 会長さんがお寺の移転で調べた経験のお話ですが、百年の間に百軒の檀家は八十軒消えてなくなり、 二十軒しか残っていないような割合であり、人の家は続かないものとのことでした。 しかし、百軒中二十軒残っているのは良いほうで、私の調べたところでは、総て大都会における状況は、 ここに百軒入る袋をある町にかぶせ、この中に三十年前から住んでいる家はどれくらいかと見れば、一軒もない町が多い。
さらに千軒入る袋を用いれば、その中にはわずか五軒あるいは十軒ぐらいはあるという具合で、 三十年にしてこうであるから、なかなか百年となると無いほうが多いようです。
しかし田舎に行きますと大分違います。
地方でも村落と小都会、または町と称する小市街とは大分差がありますが、 小都会でも昔の城下などで現在では交通が不便で、しかもろくな物産がないような所へ行きますと、三十年の間に百軒もの家が、今では五軒か十軒しか残っておりません。
それが村落の方へ参りますと、その半数または六分は残っております。

土地の盛衰は墓地にて判断し得られる

都会と言わず、村落と言わず、その土地の盛衰の状況はその土地の墓において、 ほぼ窺い知ることが出来るのでありますから、まして一家一家の家運の栄枯盛衰状態もこれに現れると言うことはあえて不思議ではありません。
ここに面白い挿話があります。
この東京で私の知己に一人の紳士がありました。
ある年その人のためにその人の郷里へ墓を見に行きました。
東京から二十里あまり、 その村外の停車場で汽車を下り、やがてその村に入ると、まず私は申しました。
「あなたの村は年々疲弊して村の土地も、ほかの土地の者の所有になるのが多いでしょう」と。
これを聞いてその人は大いに驚き、このように申されました。
「お言葉通りに相違はございませんが、今この村に来たばかりでどうしてそれがお分かりですか」と、 いぶかしそうな顔で尋ねますので、「それはなんでもないことで、道端の庚申塔、畦の際の地蔵尊、畑の隅の墓などを見ると、 どれもこれも皆ことごとく枯れているから分かるのだ」と申し、話しながら行くと、いつかその人の菩提寺である何々院というその地方一番と称せられる寺院に到着しました。
しかし驚いたことに、本堂が荒れ果てており、下駄履きでないと上がれず、本尊を拝もうとしても物置同様であり、 何としようもない状態でありました。
住職は少し離れた別棟の庫裏に住んでおられました。
これでも昔はこの辺での名刹であったというから驚かざるを得ません。

お墓洗いの功徳積み

そこでの用事は済ませたが、その人が言うには、 「自分の出た土地であるから出来ることなら村も寺もよくなるようにしてみたいが、何か方法があるでしょうか」と言われるから、 「それは善くなるかならないかは分からないが、一度この寺の墓を洗い、本堂の本尊さんも拝めるようにしてみよう」と申し、 その後折りがあったから人々に話をしたところ、すぐに賛同される方がかれこれ三十名ばかり出来ましたので、 一同そこへ出かけ村人を頼み水汲みの手伝いをさせ、こちらから行った連中には、 相当なところの奥様やお嬢様などもいらっしゃったが、一同全員襷がけの尻はしょりでその寺の石塔を片端から洗い始め、 とうとう全部洗い尽して帰ったことがありました。
当時その村の人々は変な目でみておりました。東京には物好きなひま人があると見え、 汽車賃やそのほかの費用を遣い、人の村に来て人の石塔を洗ってゆく変わった人もあるくらいに見ておったようでしたが、 その後この村人が集まったとき、この話が出ますとある年寄りが、「あれは何も物好きやひま人というわけのものではない、名々の功徳積みをしに来たもので、むしろ有り難いくらいのものである」と説明されたそうであります。
すると村人一同が「人の墓を洗って功徳になるなら、村にはまだ他に三四ケ所墓場があるから、村中総出でそれを洗おうじゃないか」と発議したものがあったそうです。
すると村中大賛成でたちまちこれを決行したそうです。

一村の幸福と和合

それからが面白い。まずその年も無事に過ぎて、翌年の一月になり村人が前年を顧みると不思議なことがある。
それは何かというと、この村が去年、麦も米もまた蚕も四隣の村よりよくできてことごとく豊作し、 しかもいずれの村よりも一番値段のよい所で売却した。
これはどうした訳だろう。村中こんな幸福に出会うと言うのは何のためだったろうと、寄るとさわると村人の話しの種になった。
そこで、誰となく思い当たってきたのは去年の春の墓洗いのことでした。 あのほかにはこの村が他の村と異なったことはない。 それではあの功徳でこのような果報を受けたのかと、村中こぞっての喜びであった。
この村は四組に分かれており、多年折り合いが悪く、甲の組の言うことには、乙の組で反対し、 丙の組の唱えることには丁の組では不賛成と言うように平素誠に一致しないので、ますます村は疲弊するばかりであったのが、 このことがあって以来、四組が一つになって何事も共同一致、睦ましくやるようになり、 村の平和はもちろんお寺の方にも、また隣村のお大尽が相次いで檀家になるような吉事祥事が重なり、 村中歓喜雀躍しているそうです。
これは話だけでも気持ちの良い事柄ですから、話の中に挟んでご披露した次第であります。

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