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家系図の不思議

吉相の歴史

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墓相の変遷

墓相学は紀元前の中国で発祥した風水地理学を源流としており、 それは陽宅風水と陰宅風水に分離されます。 前者は家相学へ、後者が墓相学へと変遷していきます。
陰宅風水は石碑の建て方そのものより、むしろ墓地の選定に重きを置きます。 すなわち吉相福地に墓所を造営することによって、子孫の繁栄や家門の興隆をはかります。 この思想は儒教思想と融合しながら現在でも中国や韓国をはじめ、東アジア諸国に根付いております。
わが国では仏法元始である聖徳太子が、この風水地理学を招聘されたという説があり、 それ故、御陵や神社仏閣などの造営に当たっては、風水学を十分に考慮されたものが多いのです。
さて、墓地選定だけではなく石碑の建て方を含む研究は、江戸中後期より盛んとなります。
すなわち文政年間の高田師、その弟子の西岡師、またその弟子の大浦師へと継承され、 明治に至っては大浦師の弟子で偉大なる墓相家と称された多田(中山)通幽尊師へと継承・発展されました。
大正年間には多田尊師の教えを受け、近代墓相学の祖、また徳風会発祥の祖と称された松崎整道師が、 陰徳積善の教えと墓相学を全国的に普及させました。
その松崎師の弟子が京都伏見の初代竹谷聰進師であります。
竹谷師は松崎師より継承された墓相をさらに飛躍発展させました。
つまり、師は墓相学には科学的な実証が必要と感じ、磁石と物差しとカメラとで日本全国のお墓を実地調査なされ、 実に確立93%という驚異の統計結果でもって墓相学を集大成されました。

●高田師作

易学者 家相学者 書店主 文政年間の人

笠石あり竿石の下に丸方の蓮華台石あり(佛像の台座と同じ形)
最下部台石は角形
夫婦墓で左へ代々順に建立する
子供は建立せず記入もしない

●西岡師作

易学者 家相学者 高田師の弟子

笠石あり竿石の下に角形蓮華台石をおく
夫婦墓で左へ代々順に建立する
子供は建立せず記入もしない

●大浦師作

大峯山信者で行者 西岡師の弟子 明治年間京都の人

笠石無し
竿石の夫婦法名の下へ子供の法名を記す
夫婦墓で左へ代々順に建立
台石は二段石

●多田通幽師作(中山姓ともいう)

大浦師の弟子 岡山に生れ京都に出で後岡山一宮にて死亡

墓地中央に先祖の供養塔を建立し祖父母を右側に父母は左側に建立する
子供は左端、父母側の手前に建立する
入口の教は無い

中国の墓相に似ています
供養塔には五輪塔と宝筐印塔とがある

●松崎整道師作 仏教賛美者

多田通幽師に教を受く
関東上尾に生れ北海道に出
後東京にて死亡

右端に約50年より以前の先祖の供養塔を建立する
それ以後は夫婦墓として左へ建立す
逆死者は代々の中へ順よく建立するか、右手前に建立する

供養塔には五輪塔と宝筐印塔とあり
師の本には逆死者建立場所並に入口の教え明記なし

境石の高さは約一尺

●竹谷聰進作

松崎師の弟子京都の生れ

松崎師と同様に見える建立方法だが
石塔は人間が座禅を組んでいる姿で
逆死者は必ず右手前で
中へ向いて建立する石塔前の踏石なし
入口石は必ず付ける

境石の高さは約三寸五分

※松崎師作は竿石細長く(※1)
※竹谷作は竿石よりも
台石が大きくなる(※2)

「家運長久の秘訣」徳風会 竹谷聰進 著
昭和23年10月15日初版発行
(株)徳風会・祭祀研究所 発行

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