広告的虚栄の墓
しかしながら近年、都会はもちろん地方村落にいたるまで名々家々の墓を建てる状況を見ますと、 昔のように亡者あるごとにこれを建てる風習が廃りまして、何々家先祖代々の墓とか、何家累代の墓とか、 何家の墓とか記したものを一基建て、これで以後代々の用となす風潮が流行するに至りました。
しかもその形は益々大きなものが好まれ、中には見上げるようなものを造り、 これに何千円または何万円という巨額の金を費やし、 これ見よといわんばかりの墓がいたるところに多く建てられるようになりました。
誠に嘆かわしいと思うことの一つであります。
なぜならば、近頃の人は墓をなんと心得ているのでしょうか。
あるいはこれを自家の誇り、またあるいは広告のように思うのでしょうか。
元来人の亡骸はもはや価値のないものであり、落命の後は元の土に還るのでありますから、 これを野に捨てたり、または水に投ずることも可能ですが、それでは人の禮にはずれるからこれを火葬にするとか、 または土葬にするとか、とにかく生きている人に対する禮をもってこれを扱うことが最も大事であります。
眼に見えぬ霊魂不滅の実現
それと同時に、残るところの霊魂、すなわち目には見えないが この不滅の霊魂をより大切にお祀りすることが最も肝心なことであります。 この霊魂をよく鎮まりますように、またよく休まるようにお供養しお祀りしないと、亡者は成仏が出来ないことになります。 前にも申しましたが、生存中に自分の墓を自分で建てると、その子は廃人となり、 終にはその家もまた廃ると申しましたが、試みに自分の墓を自分で建てた人があれば その後を調査されたら思い当たるでございましょう。
一基の墓標
前述のように自分の墓を自分で建ててさえこのようなことですから、近頃のように先祖代々あるいは累代、 または何家の墓という一本の墓を建てて、それで将来子孫の代まで済まそうとするのは、 もはや子孫のいらないことになるので、その家はそれで終わりとなるのでありますから深く考えねばなりません。
子孫長久の墓
もし子孫長久と繁栄を願うのであれば、親の墓は子が建て、親の墓は子が建て、 代々順々にこれを建てるようにせねばなりません。 墓を建てるということは子が親に対する最後の勤めとして、この親の墓を子が建てるということがなければ、 子も不用、相続も不用、家も不用ということになるのであります。
これが墓があれば家があり、家があれば相続もあるということになるのであります。
日本開闢以来墓地のために土地を狭めたることなし
このように申しますと、あるいは諸君の中にこの東京のように一坪の墓地も容易に得られぬところでは、 亡者のあるごとに石碑を建てるということは、到底不可能なことである。
中にはまたわが日本のように小さい国では後には墓で一杯になってしまうであろうと言うかもしれませんが、 誠に東京のようなところではいかにもその通りですが、何も大きな墓を建てるのが能ではありません。
墓地が狭ければ狭いように、小さい墓を建てればよいので、また日本のように狭い国ではと言うのは、 ただ理屈を言うのに過ぎないのであります。
わが日本開闢(かいびゃく)以来二千六百年、まだ墓のために麦を作るところも、 芋を植える畑も少なくなったとか、また家を造る土地がなくなったとかいう例はありません。 その点は杞憂に過ぎません。
都会の地は祖先の霊を祀るに適せず
それよりさらに肝腎なことは、この東京のように開けた上に種々なる動力、さまざまなものの音響で、 生きている我々でさえ神経衰弱になるというのに、 いかに霊魂といえどもこの音響の中では安らかに鎮まることが出来るでしょうか。
これは我々が千思万考の必要があると思います。
将来なき特設墓地
さる大正十二年の大震火災の後、その震災地跡に残る寺院墓地はことごとく特設墓地と改まり、 一見誠にきれいであり、衛生的であり、また火災の心配もなさそうで結構のようですが、 この墓には将来がなく、子孫が出来ないただ過去を祀るにふさわしいのみというほかありません。
このように申したら、おそらくこう言うでしょう、
「どうせ仏は過去のものだから、過去を祀るにふさわしければそれで結構である。 いかに全国に亘り沢山の墓を研究されたとしても、まだコンクリートの墓についての研究はなかろう」
と そう反駁する人もあるでしょうが、なるほどコンクリートの墓は近頃の産物で経験のないのは事実ですが。